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東京高等裁判所 昭和51年(け)26号 決定

被告人 大濱松三

主文

本件異議申立を棄却する。

理由

本件異議申立の趣旨及び理由は、弁護人井本良光作成名義の異議申立書記載のとおりであるから、ここに、これを引用する。

所論は、要するに、被告人は、本件控訴取下当時、重度のパラノイアの状態にあつたばかりか、本件控訴取下をするに至つた真の動機等が、妄想に基づくものであつて、訴訟能力を欠いていたから、本件控訴取下は、無効であるにもかかわらず、被告人に訴訟能力を認め、被告人の本件控訴取下を有効と解し、被告人に対する前記被告事件が昭和五一年一〇月五日本件控訴取下の申立により終了した旨宣言した原決定には事実の誤認があるから、その取消を求める、というのである。

一、本件異議申立事件の経緯

一件記録によれば、原決定の示すとおり、被告人は、昭和五〇年一〇月二〇日殺人・窃盗被告事件により横浜地方裁判所小田原支部において死刑に処する旨の判決の言渡を受けたこと、第一審弁護人は、同年一一月一日右判決に対し控訴の申立をしたこと、右控訴の申立により右被告事件は、原裁判所に係属したが、被告人は昭和五一年一〇月五日控訴取下書を作成し、これを当時被告人を収容していた東京拘置所長に提出したこと、弁護人は、原裁判所に対し同月九日付上申書をもつて右控訴取下の申立が有効であるか否かの点について疑義がある旨上申したので、原裁判所は、右控訴取下の効力について改めて同年一二月一六日被告人に対する右被告事件が、同年一〇月五日被告人の控訴取下の申立により終了した旨決定したことが明らかである。

二、本件控訴取下書を提出するに至つた被告人の心境、その動機

右記録並びに当審における被告人の審尋の結果を総合すると、被告人はもともと第一審判決に対し控訴申立をする意思はなかつたが、第一審弁護人において被告人の意思を無視して控訴申立をしたものであるところ、被告人としては、前記被告事件の結論は、死刑か無期懲役刑しかなく、たとえ、死刑を免れて無期懲役刑に処せられたとしても、騒音過敏症や不眠症等により刑務所での集団生活や作業などをうまくやつてゆく自信がなく、被告人の今後の長い刑務所での拘禁生活を考えると、苦痛だけがあつて、到底その苦痛に耐えられないばかりか、もはや人生にも疲れているので、これらのわずらわしさから逃れるため、自殺を希望し、死刑に処せられることによつて、その目的を遂げたいと思い、昭和五一年五月六日東京拘置所職員から控訴取下書の用紙をもらい受けて、控訴取下書を作成して右職員に提出したが、死に対する迷いと恐怖心のため、気持が動揺し、右職員から右控訴取下書を返還してもらい、一たん控訴取下の申立を中止したこと、その後被告人は、日蓮や親鸞の書物等を読み、死について研究し、いかなる偉人でも絶対に死は避けられないものであると悟り、自分が死を選んでも別に不思議はないと思うようになり、自殺の目的を遂げる意図のもとに、控訴取下の申立の結果一審の死刑判決が確定し、その後これを動かす手段が全くなくなることを十分知つたうえで、慎重考慮のうえ、本件控訴取下書を作成し、同年一〇月五日東京拘置所長に対し、これを提出したことが認められる。

三、控訴取下の申立の効力の判断

(一)、原決定の認定及び当審における被告人の供述

右記録によれば原決定は、被告人は、本件控訴取下の申立の時点においても依然としてパラノイアの状態にあつたが、パラノイア患者については当然に全部責任能力を否定すべきではなく、具体的行為ごとに責任能力の有無を検討すべきであるところ、被告人は、控訴取下の申立の結果第一審の死刑判決が確定し、その後これを動かす手段が全くないことになることを熟知したうえで、右申立に及び、この決意は、パラノイアとは直接関係がないものであるから、本件控訴取下の申立は、それ自体訴訟能力に欠けるところのない精神状態で真意を表明したもので被告人のした控訴取下は有効である、と認定していることは明らかである。

ところで、当審における被告人審尋の結果によれば、被告人は、「私は、第一審弁護人が、私の意思に反して第一審判決に対して控訴したので、私が控訴の取下をすれば、それで済むんだと思つている。」、「控訴取下の申立を中止した後、私は、今まで物ごとを知らないために、いろいろ損をしたことがあつたので、控訴を取下げてから後で、しまつた、ということのないように、値段の安い岩波文庫系の日蓮や親鸞の書物等を読んで、死について研究し、いかなる偉人でも絶対に死は避けられない、ということがわかつたので、逃げ場のない刑務所に行つて、隣房者の発する騒音に耐えていることは苦労であり、苦労は今までの経験で十分であり、将来の刑務所生活を考えると、死刑になつて、人生を終りにするより仕方がないと考え、控訴取下書を書いた。」、「私の場合は、死ぬか生きるかであつて、生きるといつても、刑務所で生きるというのは、私にとつて生きるうちに入らず、ただ苦しむだけであり、自殺するといつても、なかなかできないし、ここで、ちようどよい機会だから、死にたいと考えている。」、「刑務所は、一般社会と違つて、病死といつても、苦しんで死ぬようなものだから、今までで苦しむのは十分だから、ぽつくりいつた方がいい。」、「現在は控訴を取下たときよりもつと精神的に進歩したから、やつぱり、死の道しかないと、考えている。」、「私には死刑か無期しかないわけで、本当は、両方ともいやなわけだけれども、二つのうち一つを選択しなければならないから、少しでも楽な死刑を選んだ方がいい。」、「私は、鑑定の結果無罪になつても、三人殺しているから、当然精神病院で一生暮さなければならず、精神病院は、刑務所同様大変なところだと思うので、無罪になりたくないし、しかも、当然事情から考えて無罪にならないと思う。」、「自殺をする人でも一〇〇パーセント死にたい人はいないわけで、生きていられない、死ななければならない理由があるから、死ぬわけなんで、好きで死ぬ人はいない。生きているのが苦しいから死ぬわけで、私にしても一〇〇パーセント死んで、いいわけはない。私は、騒音にさらされると、苦痛になり、死ぬよりしようがないと九〇パーセント思つている。」旨供述し、被告人の当裁判所に対する供述態度は、真摯であり、感情にかられた状況もなく、むしろ、たんたんとして卒直に、被告人の控訴取下の心境を語つているのである。「死を選ぶ権利について」被告人が言及した際、「正しい裁判を受ける権利」について、当裁判所が説得したときにも、その点は理解したうえで、控訴取下に及んだ旨を述べているのである。また、被告人作成名義の昭和五二年三月二二日付上申書によれば、「被告人の現在の心境は、一〇〇パーセント処刑を希望している」旨記載されていることが認められる。

(二)、法的判断

そこで、被告人の本件控訴取下の申立当時における訴訟能力の有無について検討すると、前記のように、被告人は、たとえ死刑を免れて無期懲役に処せられたとしても、騒音過敏症や不眠症等により今後の長い刑務所での拘禁生活を考えると苦痛だけがあつて、到底その苦痛に耐えられないばかりか、もはや人生にも疲れているので、これらから逃避するため、自殺することを希望するようになり、死刑に処せられることによつて、その目的を遂げたいと思い、宗教家の書物を読んで死について研究し、被告人なりに死について悟りをえ、右目的を遂げる意図のもとに、控訴取下の申立をしているのである。なるほど、自殺目的を達成するために死刑判決を確定させるということは異例のことではある。そして、ことがらが人の生命にかかわるものであるから、当裁判所としてもこの控訴取下の効力については慎重に合議を重ねた。ところで、被告人は控訴取下の申立の法的意義、効果を十分認識して、本件控訴取下の申立をしたことは前記のとおりであつて、被告人の本件控訴取下の申立に至る動機、目的、目的達成のための手段の選択は、目的的意思活動として欠落するところはなく、控訴取下の法的意義、その法的効果の認識は十分備わつており、被告人の右控訴取下の行為は、すべて了解可能であつて、所論のように被告人が妄想に基づき、しかも控訴取下の意味を認識理解することなく本件控訴取下の申立をしたものとは到底認められず、被告人は、本件控訴取下の申立当時、右申立の意義を理解し、自己の権利を守る能力すなわち訴訟能力を有していたものと認められるから、本件控訴取下の申立は、それ自体訴訟能力に欠けるところのない精神状態で真意を表明したものであると認めて、被告人の前記被告事件が昭和五一年一〇月五日本件控訴取下の申立により終了した旨決定した原決定には、所論のような事実誤認は存しない。所論は、独自の見解に立つて原決定を非難するもので、到底採用することができない。

(三)、鑑定人医師中田修作成の鑑定書等

なお、鑑定人医師中田修作成の鑑定書は、「被告人は、本件犯行当時精神分裂病圏に属する可能性のあるパラノイア(パラフレニー)に罹患している。いわゆる部分責任能力を認める見解によれば、被告人の殺人行為は、妄想に基づいて実行されたものであるから、責任能力がなく、被告人の窃盗行為は、妄想と直接関係がないので、責任能力がある。被告人は、本件控訴取下の申立当時(鑑定時)パラノイアの状態にあり、妄想は犯行当時よりも一層体系化している」というのであり、原審証人中田修の尋問調書は、「私は、パラノイアが精神分裂病圏に属するものであれば、部分的責任能力を認めないが、心因反応に属するものであれば、部分的責任能力を認める。被告人のパラノイアは分裂病圏に属するものか、心因反応に属するものか区別がつかない場合であるが、被告人の妄想と本件控訴取下の申立の動機とは直接に関係がないから、被告人には取下能力がある」旨の供述記載があり、当審における証人・鑑定人中田修は、「本件控訴の取下は、妄想とかなり関係している。被告人には本件控訴取下の申立当時取下能力がないものではないかと考えられる」旨供述しているから、同証人作成の鑑定書の記載や同証人の供述は、被告人のパラノイアが分裂病圏又は、心因反応のいずれに属するものであるのか、精神分裂病圏に属するパラノイアの責任能力、妄想と本件控訴取下の申立との因果関係についてかなり見解に曲折変転のあることが認められ、当審における被告人の前記供述内容、供述態度等に、当審における中田証人の「取下能力について鑑定した経験は全然ない」旨の供述に照らすと、当審における中田証人の「本件控訴の取下は、妄想とかなり関係している。被告人には本件控訴取下の申立当時取下能力がないものと考えられる」旨の供述は、それなりの理由はあるにしても、未だ被告人の控訴取下に関する訴訟行為能力について当裁判所の見解を左右するに足りるものとは認め難い。

四、よつて、刑訴法四二八条三項、四二六条一項を準用して本件異議申立を棄却することとして、主文のとおり決定する。

(裁判官 谷口正孝 金子仙太郎 小林眞夫)

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